【東大卒が語る】受験は才能?努力で偏差値を上げることは不可能か

受験勉強を進めていく上で絶対に頭をかすめるのが
勉強なんてそもそも才能なんじゃないか
という考えです。 クラスに一人は、
・全然勉強していないように見えるのにめちゃくちゃ成績が良い
・めちゃくちゃ真面目に勉強しているのに成績が悪すぎる
という人がいますよね。
こういった現実を見ていると、

・そもそも偏差値は才能で決まるのでは?
・努力なんか関係ないんじゃないか?

と思えてしまいます。

今回は、東大で何人もの「本当に勉強の才能を持った人たち」を見てきた僕(木村)が「偏差値は素質で決まるのか」を論じます。

そもそも勉強における才能とは?

まずは、そもそも勉強における才能とは何なのか定義しておきましょう。

最もしっくりくる定義は「少ない勉強時間でいい成績を取れること」でしょう。
いわゆる「要領がいい」生徒というイメージに近いと思います。

高校時代に部活や恋愛、学校行事等に打ち込み、ほとんど勉強しなかったのに東大に合格する生徒はいます。
少ない勉強時間で結果を出す人はやはり存在するのです。

僕の同級生にも、高2の秋まで文系だったのに急に理系の学問に興味が出て理転しそのまま東大理3に現役合格した方がいました。
彼女は、理系の科目の勉強をする時間は他の理系受験生よりも圧倒的に限られていたはずです。
にも関わらず、結果を出したのはやはり素質があったからでしょう。

才能=遺伝子ではない

まず気になるのは、勉強の才能は遺伝か?ということですよね。
確かに、 統計的に親の IQ が高いと子供の IQ も高い傾向にあるという研究はあります(参考)。

僕自身の経験から言っても、東大の同級生にはご両親が

・医者だったり
・東大をはじめとする難関大学の出身者だったり

といった人が多くいました。

これだけ見ると、「なんだやっぱり偏差値って遺伝なのか」と思ってしまいそうです。

しかし、そう結論するのは早いと思います。
例えば親も賢い傾向にある東大生たちですが、
「彼らは親から生物学的に受け継いだ能力が高かったから東大に入れた」
というのは正確ではないです。

彼らの話をよく聞くと、生物学的な遺伝以外の影響が見えてきます。
例えば彼らは
・小さい時から母親が本の読み聞かせをしてくれたり
・音楽など知育に良いことをたくさん経験した
といった人が多いです。

つまり後天的な環境要因によっても彼の才能が大きく助けられていることが分かります。
(そしてこの「文化的な遺伝」の要素が、統計的な親子間の知能の相関を誇張していることが推測できますね)

例外的なガチ天才

誤解が無いように言っておくと、僕は遺伝的な要素も勉強の素質に確かに影響すると考えています。

ごくごく稀にですが「遺伝子からして全く違うな」と思わざるをえない天才に出会うことがあります。
高校・大学の時に出会った人の中には本当に天才と言うしかない人も時々いました。

僕と同じ授業を受けていて、アクセスできる教育リソースが基本的に同じなのに
・数学オリンピックで高い実績を残したり
・学部生から超一流科学誌に査読論文を通したり
と際立った成果を残す学生たちです。
こういった人に対しては、僕も才能の差を認めざるを得ませんでした。

勉強に限らずスポーツでも同じだと思いますが、ある程度高いレベルに行くと努力するのは当然になってきます。
全員が必死で努力しているのに、明確な差が出来る。
その時に、初めて才能の差が分かるわけです。

受験は才能でなく努力で決まる

とはいえ受験に関して言えば、「才能がないから志望校を諦めなければいけない」というケースは多くないです。

というのも受験勉強はパズルゲームのようなものでしかなくて、誰でも練習すれば上手くなれるからです。

もちろん才能によって、パズルゲームが志望校合格に必要なレベルまで上手くなるのにかかる時間は異なります。
(そもそも「才能」を短い時間で勉強スキルを上げる能力と定義しているので当たり前ではありますが)

ただ、受験の合格点を取りたいだけであれば、他の人より多くの時間と熱量を勉強に費やせばいいです。
確かに手間はかかりますが不可能ではありません。

特に、60未満の偏差値帯ならば、基本的に才能の有無を気にする必要もないです。
素質どうこうの前に、勉強法がまずいか努力量が足りてないかの二択です。

繰り返しになりますが、本当に「自分に才能があるかないか」がわかるのは、超努力したその後です。


一年間毎日鼻血が出るまで勉強してそれでも偏差値40だったら、その時は胸を張って「俺には才能なかったぜ!」といえばいいです。
(結果はどうあれ、僕はそこまで努力できた人を心から尊敬します。 )

もっとも現実にはそこまで努力した時点で、大抵の人は当初の志望校を余裕で合格できる実力がついているものですがね。
そして仮に限界まで努力をした後で、
「あ、これ自分は本当の意味での勉強の才能はないな」
と判明したとしても大丈夫なのです。


僕自身、他人より一個一個の勉強スキルを習得するのが遅いながらも、難関校に合格した生徒を今まで何人も見てきました。

人並外れた根性さえあれば東大でも京大でも医学部でもどこでも入れます。

結論:才能について悩む前に努力しよう

色々と話が脱線してしまいました。
が、最後に振り返っておくと、とにかく言いたかったのは
・本当の勉強の才能があるかないかは高いレベルに到達しないと分からない
・そのためには努力が必要
・そして仮に才能がなくても、そこまで努力すれば受験レベルは大体突破可能
ということです。

そして今回は触れませんでしたが一般的なイメージとは違い、才能自体も伸ばすことができます。
才能の伸ばし方についてはまた記事にするのでお見逃しなく。

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追記)
巷では大学受験以上に「素質が物を言う」と思われているのが中学受験です。
中学受験についてはこちらの記事で触れています。

【経験者が語る】難関中学受験は才能で決まるの?御三家レベルは地頭の良さが必要

2020年11月14日

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