【経験者が語る】難関中学受験は才能で決まるの?御三家レベルは地頭の良さが必要

今回は受験産業の一つのタブーである
中学受験は才能で決まるのか
というテーマについて僕個人の考えを述べたいと思います。

一応僕自身も教育サービスを提供する側にいるので、気持ち的には
誰でも努力すればどこまででも学力が伸びるよ!
と言いたいのですが今回は本音で語ります。
筆者(木村)の経歴
・中学受験経験者
・中高一貫(偏差値60程度)→東大卒
・家庭教師派遣サービス運営

中学入試に地頭の良さは必要か

結論から言います。
中学入試に才能、つまり頭の良さは少なからず影響してきます。

特に顕著なのがいわゆる御三家と言われるような難関中学を受験する場合です。
現実的に、誰しもがこのレベルの難関中学に入れるわけではありません。
御三家とは
中学受験界隈では、開成・麻布・武蔵(もしくは駒場東邦)を男子御三家、桜蔭・女子学院・雙葉を女子御三家と呼ぶことが多いです。
これらの学校は凄まじい大学進学実績を持つが、その入試は超が付くほどの難関として知られます。

そもそも偏差値的に狭き門すぎる

それは単純に偏差値を考えてみても納得がいくでしょう。
例えば開成中学の偏差値は75とも言われますが、正規分布を仮定すればこれは上位0.6%程度に相当します。

しかも中学受験は母集団のレベルが際立って高いです。
中学受験層をする生徒の間での偏差値がこれなら、小学生全体で見たときの開成の偏差値っていったいいくらになるのでしょうか。
考えてみただけで恐ろしいです。

数字だけではわからない中学入試の残酷さ

しかし、単純に「偏差値が高いから元々頭が良い子しか入れないんだ」という人は大切なものを見落としています。

難関の中学受験はそのシステム上、ある種の才能を持った生徒に有利になるようにできていると僕は感じています。
これは大学受験と比較したときに特にそういう風に感じますね。

僕が小学生の時、たまに教科書に灘中学の問題が出てきていましたが、
こんなの絶対解けないな
といつも思っていました。

しかし、その僕でも最終的に東京大学に合格することができました。
考えてみれば東大だって偏差値は70中盤くらいのはずです。
偏差値というモノサシで見れば、難関中学も東京大学も似たような難易度に見えますが難しさの質がぜんぜん違っていました。

中学受験には特有の「地頭がいい子が有利になる構造」が存在するのです。

中受に才能が必要なのは独特のシステムの問題

結論から言うと「もともと素質がある子が有利になる構造」の鍵は算数にあります。

中学入試では算数勝負せざるを得ない

難関中学になればなるほど入試の合否を決めるのは算数です。
そもそも中学入試では試験に使う科目が国算理社の4科目です。

そもそも理系と文系の区別すらありません。
これは大学入試と対照的ですね。

大学入試の場合は英語が加わる他、他の科目も細分化されています。
国語であれば現代文・古文・漢文とありますし、
理社も物理・化学・生物・地学、
世界史・日本史・地理と分かれています。

数学だって割と細かく区分分けされていますよね。
中学入試には基本の4科目がただシンプルにあるだけなので、多くの学校は算数の比重が非常に大きい配点になっています。
しかも難関中学の中には社会がない学校もありますが、その場合はより一層算数の比重が増えます。

大学受験のように「数学を使わない or 数学の中でも得意の分野だけを使って戦う」ということがシステム的にできないのです。
もちろん小論文(作文)を使うことも基本的にできません。

そしてこの算数が曲者で、元々の才能の差が出やすい科目だなと常々感じます。

算数の発想力

というのも、難関中になればなるほど努力で鍛えにくいような発想力というかパズル的な力が必要になっていくからです。

もちろん基礎となる計算力や論理的思考能力も難関中学は問うてきます。
これらの能力も非常に高いレベルで完成させていなければいけません。

しかしそもそも難関校を受けるレベルの子達は、訓練に訓練を重ねています。
単純な計算問題や普通に考えれば答えにたどり着ける問題はみんな正解できます。

肝心の合否を分ける問題が、本当に一瞬のひらめきで決まってしまうような問題であることも珍しくありません。

筑駒や灘中学の過去問を見ていると、「東大生でもこれはなかなか解けないだろう」という問題に出会います。
そういうのはだいたい「ここに補助線引くの!?」とか「この発想はなかった」と感じさせられる問題ですね。

長い目で見れば才能が無くてもOK

さてここまで読んだ方の中には、
結局才能で決まるって話なの?
という気持ちになった方もいるかもしれません。

ですが以上の話は、「才能があれば何もしなくても受かる」ということでもなければ「突出した才能がない子は勉強ではどうしようもない」ということでもありません。

御三家クラスの難関校を目指すのであれば、一定水準の素質は必要だよねという話に過ぎないのです。

日本に存在する大多数の学校の場合は、正しい努力を必要な量積み重ねれば合格することができます。

また、超難関中学に入るために必要だった理数的な才能は、高校入試大学入試と進むにつれてその影響力が小さくなっていきます。
大学受験の数学は突飛な発想よりも妥当な論理の積み重ねで答えにたどり着くことができます。

天才的な発想をすることができなくても、使える知識がたくさんあるのでカバーすることも可能です。
補助線のヒラメキが降りてこなくても、座標を入れたりベクトルを使ったりでなんとか突破するイメージですね。

以上を考慮すると、一部の特殊な職業を目指す場合を除き、中学受験の時に地頭が良かったかどうかなど、小学六年生の2月を過ぎればほとんど関係ないと考えてOKです。

厳しい受験生活の中で、他人と比べて素質があるとか無いとかゴチャゴチャ考えて不安になるのは仕方ありません。
中には全然勉強していないのに、トップ校に入る子も稀にいますからね。

ですが、どうせ我々にできるのは、コツコツ毎日勉強していくことだけなのです。
だったら、「周りは気にせずに淡々とやっていきましょう」というのが僕の結論です。

最後に、「受験が才能で決まるのかどうか」についてはこちらの記事でも考えているので良かったらご覧ください(こっちは主に大学受験を想定しています)。

【東大卒が語る】受験は才能?努力で偏差値を上げることは不可能か

2020年9月23日



さて今回はこの辺で終わりにします。
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